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奥養老バンガロー村

養老川の清流と森林の緑に囲まれた、小高い丘の上にあるバンガロー村。雑木林の中にバンガローが点在する。全て畳と電灯を完備。車が入れないためとても静か。バンガロー村には大部屋(25人用・ベット20、畳10畳)のほかC型(4人用)・D型(6人用)・E型(8人用)、F型(12人用)、G型(8人用)、H型(10人用)がそれぞれ25棟・30棟・3棟・1棟・1棟・1棟とある。炊事・食器類は無料貸出。寝具は有料貸出(敷布団、枕はシーズン中のみ)。

市原市市民の森キャンプ場

営業:キャンプ場:GW期間と夏休み期間(7月20日〜9月1日)定休日なし 営業:バーベキュー:通年、年末年始休み

豊かな自然の地形を生かした市民の森には、10コースの遊歩道があり、四季折々の植物を見たり野鳥のさえずりを聞いたりしながら森林浴を楽しむことができます。6月の中旬にはショウブの花が咲き誇り、下旬には大株のアジサイが開花し、来園者の目を楽しませてくれます。また、ゴールデンウィーク期間や夏期には、キャンプ場としても利用できます。そのほか、季節の野菜などの販売やアユのつかみ取りなど、季節に合わせた様々なイベントを行っています。

木造薬師如来坐像及び両脇侍立像

木造如来坐像の座高は83cmで寄木造り。両脇侍の日光・月光菩薩の像高は109cmで一木割矧造り。三尊ともカヤ材。如来像の脊板に墨書がみられ、1261年に橘禅寺が焼失したので翌1262年に常陸公蓮上・信濃公新蓮の両仏師により新造された。確実な製作年代と仏師名がわかる資料として、彫刻史上重要な作例。また、2体の神将立像は像高106cmの一本造で、橘禅寺焼失前の12世紀後半の像であり、もとより一具の二天像であったとみられます。

木造聖観音立像

像高3.32mで木彫像としては県下最大を誇る。制作年代は11世紀半ごろと推定されており、県内の木彫像の中でも最も古い作品の一つに数えられる。仏像彫刻では珍しい桜の巨木の一木像。慈悲にあふれた威厳のある面相と均整のとれた肢体には古典的な風格があり、房総地域の仏像彫刻史上に欠くことのできない貴重な作品。

木造地蔵菩薩坐像

高さ2.73mで、坐像の地蔵菩薩では日本最大。頭部は江戸時代の面長な顔立ちに替わっているが、重ねた衣の構成や彫りの深さ、膝を大きく張る特徴から鎌倉時代の作風をとどめた南北朝時代の作と考えられている。

鶴舞公園

鶴舞公園は、県立笠森鶴舞自然公園の区域内にある公園です。桜の名所として知られており、園内には約600本の桜があります。毎年3月下旬〜4月上旬には鶴舞花まつりが開催され、鶴舞公園から鶴舞の街並みまで桜色に染まります。憩いの場として市民から親しまれているとともに、千葉県桜の名所20選に選ばれている。

市原市水と彫刻の丘

公開:9:00〜16:30(6月〜9月は18:00迄) 休業:毎週月曜,最終週火曜,年末年始

市原市水と彫刻の丘は、県下一の貯水面積を誇る高滝湖畔に観光と文化の拠点として平成7年(1995年)11月にオープンした。展示棟、展望塔、水上彫刻などがある。館内には公立でははじめて、直接手で触れることができる彫刻が展示してある他、様々な展示会などのイベントが随時開催されている。展望塔には明治〜大正にかけて農民を干害から救った「藤原式揚水機」が復元されており、展望デッキからは房総の山並が堪能できる。

鳳来寺観音堂

もとは善福寺のものだったが、明治16年に鳳来寺に合併され廃寺となってからは、鳳来寺観音堂となった。口伝によれば、善福寺は土地の豪族土橋平蔵の居城鎮護のための寺であったと言われている。堂は正面3間、側面3間、周囲に切目縁を廻す茅葺の寄棟造り。柱は円柱で上部を細く丸めた「粽」という唐様形式をとり、軒は二軒、扇垂木、二手先詰組となっている。昭和41年の解体修理の際に現在の位置に移築され、善福寺には今も礎石が残されている。建築年代は西願寺同様室町時代後期と推定されている。

飯香岡八幡宮本殿

社伝によれば白鳳年間の創建といわれ、一国一社の国府八幡宮と呼ばれる古社として知られている。東国に縁深い武門の崇敬が厚く、殖産・海上守護・安産子育てなど広く庶民の信仰を集めている。本殿は、正面3間、側面2間の総丹塗りで屋根は銅板葺(元はこけら葺)の入母屋造りで、室町時代中期の建物と考えられている。拝殿は正面5間、側面3間で本殿同様総丹塗の建物。県内の神社建築で国の重要文化財の指定を受けているのは、香取神宮本殿と飯香岡八幡宮本殿の二社のみ。また、拝殿は県指定文化財に指定されている。

西願寺阿弥陀堂附厨子

創建時の阿弥陀堂は、上部は全て金箔塗り、下部は朱塗でまばゆいばかりであったことから、平蔵の光堂と呼ばれている。平蔵城主・平将経が鬼門守護のために建立したといわれている。昭和2年の解体修理時に発見された墨書から、明応4年(1495年)、鎌倉の名人大工・二郎三郎により建立されたことがわかった。本堂は正面3間、側面3間、茅葺の寄棟造り。軒回りは二重の扇垂木で、軒の出が深く三手先詰組とともに美しい構成になっている。逗子も堂と同じ様式の創建当時のもので、堂と合わせて重要文化財に指定されている。

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