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拝観:8:00〜17:00無休
山中に三名井をもつところから紀三井寺といい、西国観音霊場第二番札所。境内には約600本の桜の木が植えられており、関西一の早咲きの桜の名所として有名。「近畿地方に春を呼ぶ寺」と言われる。朱塗りの楼門をくぐって231段の石段を登りつめた境内からは和歌浦が一望できる。
和歌山市梶取に広大な寺地を占める総持寺は、宝徳2年(1450年)年浄土宗西山派の名僧明秀光雲によって開創された寺である。16世紀には後奈良・正親町両天皇より綸旨を給い勅願寺にもなった。天正13年(1585年)年豊臣秀吉の南征の際、兵火に焼かれたが間もなく復旧。元和元年(1615年)当時は禅林寺・光明寺と並んで同派三本山の1つとなったが、その後寛文年間(1661〜1672)には禅林寺・光明寺のみが同派総本山に指定されたので、当寺はしぜん両末寺となった。しかし紀伊・和泉両国に八十八ヶ寺の末寺を有し、同派檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられる名刹として現在に至っている。総門・本堂・釈迦堂・玄関・開山堂・鐘楼などいずれも江戸時代末までに建立されたものであるが,学問寺としての機能を有する寺格に相応しいものであり、近世寺院建築の様相を理解する上で重要である。
拝観時間:9:00〜17:00
学問の神様、菅原道真を祀り、大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三官廟といわれています。受験シーズンには、合格祈願者で賑わいます。入母屋造り千鳥破風の本殿(国指定重要文化財)は、内外部ともに華麗な極彩色が施され、壁画は狩野・土佐両派の画家によるものです。和歌浦天満宮の御祭神・菅原道真公は、大宰府に左遷されて赴任する折、海上の波風が強かったためにこれを避け、ここ和歌浦の地に立ち寄られました。しばらくして波風がやみ、船で大宰府に向かう折、「老を積む身は浮き船に誘はれて遠ざかり行く和歌の浦波」「見ざりつる古しべまでも悔しきは和歌吹上の浦の曙」の2首の歌を詠み、旅立たれたと伝えられています。1月25日には初天神、8月20日には「筆塚」に使い古しの筆を奉納し、書道の上達を祈る筆供養祭が行われます。
拝観:9:00〜17:00
紀州初代藩主であり、徳川家康の第10子徳川頼宣が父家康を祀るために1621年(元和7年)に創建した権現造の神社。日光東照宮と同様、絢爛豪華な社殿内には左甚五郎作の緋鯉真鯉の彫刻や狩野探幽の襖絵があります。朱塗の楼門をはじめ、拝殿、本殿など7棟が国の重要文化財に指定されており、桃山時代の遺風をうけた江戸初期の代表的な建造物です。毎年5月には、和歌祭が行われ、御輿をかついだ男衆が侍坂と呼ばれる人の煩悩の数と同じ108段の階段を勇壮に練り下ります。
拝観:9:00〜17:00宝物殿は10:00〜16:00
御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は、医薬の神様。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれている。宝物殿には紀州徳川家から姫君誕生の折に初節句に一対の雛人形が奉納され、今もなお残っています。2月8日に「針供養」、3月3日に「雛流し」、10月3日に「甘酒祭」が行われます。
創建年代は不明。天正年間(1573〜1592年)に羽柴秀長の家臣和歌山城代、桑山重晴によって現在地に移転され、慶長元年(1596年)桑山氏が社殿の造作を行った。五月第3土曜例大祭渡御祭(えび祭り)が行われる。大漁を祈願する氏子総出の加太春日神社のお祭りで薙刀振り、高場に上がっての獅子舞、鬼舞、子供神輿などが行われます。
祭神である五十猛命はスサノオの尊の御子神で、父神に従って高天原から大八洲国(日本)に天降ったとき、多くの樹木の種を持ってこられ、日本全土に木の種を播き植林されたので、木の神様とされ、4月第1日曜日には木祭が行われます。また、「古事記」には、大国主神の生命を救ったことが記されており、厄除、病難除の神としての信仰もあります。
紀州藩祖徳川頼宣が築かせた里程標で、和歌山城京橋を起点として丁度一里の距離に設けられています。元和5(1619)年和歌山の城主として徳川頼宣が入国すると,城廓の規模を拡張し,城下町の整備にとりかかったが、その時当時上方街道であったこの道路を整備し、嘉家作りの町から八軒家にいたる道の両側に松並木をつくり、一里塚を築いた。藩主が参勤交代で江戸に赴く時、藩士たちはここまで来て一行を見送り、また帰国の時もここで出迎えた。一里塚が設けられた地点については知ることができても、塚の状態で保存されているものはきわめて少なく、近世交通遺跡として貴重な存在である。
明治28年に近畿地方で初めて発見された縄文時代の貝塚。花山南麓台地にある縄文時代遺跡で土器が出土する。
紀伊吐前(はんざき)城主・津田監物が建て、監物の法号である光恩居士から光恩の部分を取って寺名としたといわれています。初代住職の信誉上人は松平家の出身であり、紀州藩祖徳川頼宣に学問を教えた学識高い人です。入ってすぐ右にあるのが庫裡で、和歌山城の現存遺構として昭和46年(1971年)1月9日に和歌山市指定文化財(建造物)に指定されました。和歌山城の建造物で戦争で焼かれずに残っているのは和歌山城内の岡口門とこの庫裏だけで、築後400年を経ても今なお頑強そのものです。