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光丘カントリー倶楽部

定休日:休日毎月最終金曜日、1月1日

錦織神社

営業:9:00〜17:00

近鉄長野線「川西」駅から北へ約500m行くと錦織神社がある。このあたりは旧錦織(にしこおり)郡で、古くは錦部郡(にしこり)と呼ばれたところ。浪速からの水路を経て大和の都に通じる重要なルートだったため、大陸文化が伝えられ、「和名抄」(平安時代に編纂された辞書)にある百済郷という名の集落があったところと言われている。「爾之古里」の表記が後に錦部郡となったとも、百済より渡来した織物の技術を持つ人々が住みつき綾錦織等を朝廷に献上していたため、錦織という地名が発生したとも伝えられている。本殿は正平18年(1363)の創建。総檜皮葺の3間入母屋造りの漆、丹塗、彩色が施された華麗な建物で、左右の摂社とともに、国の重要文化財に指定されている。

仲村家住宅

営業:※内部非公開

仲村家とは、この富田林寺内町が繁栄し始めた1600年代からつづいている町家のひとつだ。寺内町の町家で唯一内部見学ができる旧杉山家同様、造り酒屋「佐渡屋」として江戸時代中期には河内の国(現在の南河内郡付近)でも最大級の酒造規模を誇っていた。幕末に吉田松陰が1ヵ月近く滞在、他にも著名人が滞在したという、大店ならではの記録も残されている。現存する家屋は当時のものではないが、1782年頃に建てられたもので、大阪府の文化財に指定されている。大阪や京都に多く見られる商家の建築様式を用いた、今では貴重な建築物だが、個人住宅のため、内部の公開は行なっていない。

楠妣庵観音寺

営業:9:00〜17:00季節による変動あり

楠木正成の妻で、正行(まさつら)の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して、菩提を弔ったところ。久子は「敗鏡尼」を名乗り、楠妣庵(なんぴあん)を建てたという。この地には正行が建てた観音殿もあり、弟・正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺とした。その後、観音寺、楠妣庵ともに兵火によって焼失したが、大正6年(1917)に楠妣庵が再興。次いで観音寺も再建された。この地は敗鏡尼の故郷でもあり、境内にある石造りの五輪塔は、その墓とも伝えられる。春の新緑、夏の蝉時雨……と、四季折々の趣が楽しめるが、ことに秋の紅葉は有名。歴史ファンや楠木公を偲ぶ人々が多く訪れる。

富田林観光案内所

営業:9:00〜16:00 定休日:月曜日(但し月曜日が祝日の場合、翌平日)、年末年始、お盆

大阪の都心部から約50分、近鉄長野線富田林駅改札を出てすぐ、国道旧170号線沿いにその案内所はある。富田林の歴史は古く、さまざまな歴史的建造物が今も残っている。ここから約400メートルの所に、寺内町という約450年前の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)があり、重要文化財の旧杉山家住宅がある。また、農業公園サバーファームをはじめとする公園も数多くある。尚、富田林だけでなく隣接の河南町、千早赤阪村の案内も行っている。富田林の観光の手始めに、この観光案内所で情報を集めてみてはいかがだろうか。

北庄司酒造

営業:8:00〜17:00土日祝9:30〜16:30 休業:盆・正月※土日祝で臨時休業の場合あり

ここでは、その伝統の酒造りの仕込み作業を見学できる。仕込みをしていない期間でも、実際に使われている道具の見学ができ、酒造りの工程を詳しく紹介したビデオを観ることができる。また、酒蔵の2階倉庫を改築したホールも見どころで、「蔵しっくホール」という名のとおり、クラシックをはじめ、ジャズやシャンソンなど、様々な音楽イベントが開かれている。

歴史館いずみさの

営業:9:00〜17:00(入館は16:30まで) 定休日:月曜日(祝日の場合は開館し、直近の開館日は閉館)、年末年始、展示替え等により臨時休館の場合あり

現在の泉佐野市のほぼ全域にかつて位置した九条家の荘園(私有土地または農園)・日根荘(ひねしょう)を中心に、中世の荘園の様子を紹介する歴史資料館。日根荘は、都で代々摂政や関白などの要職を務めた九条家の荘園として鎌倉時代の1234年に成立した(国の史跡)。しかし、南北朝時代には地元の武士、戦国時代には根来衆が勢力を伸ばし、徴税権利なども奪われてしまう。1501年には九条政基(まさもと)が都からやってきて直接徴税を行ったが、4年後に都へ戻ると、日根荘も終焉へ。「歴史館いずみさの」には、この時の九条政基が残した日記『政基公旅引付』や、荘園絵図など約5万点の史料のほか、荘園の景観を忠実に再現した200分の1の大型模型を展示している。併せて、江戸時代から近代に至るまでの泉佐野の変遷も紹介。

淡輪六郎兵衛の墓

大坂夏の陣で豊臣側の大野治房の軍に加わり、この碑のある辺りで起こった「樫井の合戦」では塙団右衛門(ばんだんえもん)らと敵陣に切りこみ、惜しくも討ち死にしたと言われている。それから25回忌にあたる1639年(寛永16年)に、子孫である会津藩士・本山三郎右衛門が淡輪村で石材を用意して建てたのがこの墓碑だという。

塙団右衛門の墓

石柵に囲まれた中に、高さ約2メートルの五輪石塔が安置されている。この墓碑は、紀州藩士の小笠原作右衛門が、塙団右衛門直之の17年回忌(1632年4月)に建立したとされる。塙団右衛門直之(通称団右衛門)は、大坂冬の陣が始まるや否や大坂側に馳せ参じた。大野治房の組下に加わり、「夜討ちの塙団右衛門」の勇名を轟かせている。しかし、夏の陣における樫井合戦で、戦功を焦った余りに一命を失うことになる。

日根神社

定休日:なし

泉佐野市日根野に鎮座する日根野・上之郷・長滝地区の総社であり、『延喜式』や国内神名帳にも名が出ていた古社。祭神は神武天皇の父・鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と母・玉依比賣命(たまよりひめ)。和泉国五社(大鳥・泉穴師・聖・積川・日根)のひとつ。鎌倉時代に日根野は九条家の荘園となり、溜め池や水路がつくられて開発が進み、日根神社は「大井関大明神」の名で呼ばれるようになったが、天正4年(1576)、秀吉の根来攻めによって社殿が悉く焼失。現在の社殿は、慶長5年(1600)秀頼が再興したもの(府の指定文化財)。毎年5月の例祭「まくら祭り」は、のぼりに色とりどりの枕をつけて村々を巡行する特色ある祭。7月の「ゆ祭り」には五社音頭踊りが奉納される。

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