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ATCホール

営業:ATCホール9:00〜17:00(延長可)、会議室9:30〜17:30(半日利用・延長可) 定休日:2月の第3水曜日予定

大阪・ベイエリアに位置する「ATCホール」は、5つのホールからなる多目的ホール。都心部本町から約20分、周辺に30店以上の飲食店、徒歩圏内には2つのホテル、広大な駐車場などがあり、たいへん便利な立地条件だ。また同じ建物には、コンベンションルーム、会議室も付帯し、セミナー・研修会はもちろん、あらゆるイベントにフレキシブルに対応し、保税展示も可能。ホールの大きさは、最小の250平方メートル〜最大の2900平方メートルものまで備えている。

万代池公園

営業:入園随時可 定休日:なし

阪堺電気軌道上町線の帝塚山3丁目駅から東へ歩いて数分。周囲約700メートルの万代池を中心に広がる総面積4.3haの公園。昭和2年(1927)に発行された住吉村誌によると、その昔、万代池には不思議な魔物が住み、人々を悩ませていたが、聖徳太子が四天王寺から人を遣わし、お経をあげさせたところ、魔物は現れなくなった。その時、あげた経が曼陀羅(まんだら)経だったことから、当初は曼陀羅池と呼ばれていたが、いつの間にかその名が訛り、萬代池(まんだいいけ)になったという。現在の万代池公園は子供向けの遊具などが置かれ、ラジオ体操やウォーキングなどを楽しむ市民の憩いの場。桜の時期には地元の花見客でにぎわい、冬はやってくる渡り鳥めあてに野鳥ファンが集う。

吾彦山大聖観音寺(あびこ観音)

営業:6:30〜17:00 休業:無休

吾彦山大聖観音寺(あびこさんたいしょうかんのんじ)・通称あびこ観音は、日本最古の観世音菩薩の寺院。その昔、この地に住んでいた依網吾彦(よさみのあびこ)の一族が、百済の聖明王から身の丈一寸八分(約8cm)の観音像を贈られ、欽明天皇7年(546)に寺を創建。その後、聖徳太子が観音菩薩のお告げを受け、吾彦山観音寺が建てられたと伝えられている。江戸時代には境内に36の支院があるほど、隆盛をきわめたが、明治14年(1881)の火災で多くの寺宝と共に焼失した。その後、明治23年(1890)に再建。毎年2月3日の「節分厄除大法会」には「聖観音」が開帳され、厄除開運・無病息災・諸願成就を祈る人々で賑わう。

帝塚山古墳

営業:見学自由(古墳内立入り不可)

南海高野線帝塚山駅を下車し、西へ歩いて約100m。築造当初の前方後円墳の形をほぼ残す帝塚山古墳は全長約120m/高さ約7〜8mの国史跡。採集された埴輪などから古墳時代中期(5世紀頃)のものと推定される。市街地化が進むこの一帯にはかつて古墳が多く存在していたと考えられていて、寛政10年(1798)頃に刊行された『摂津名所図会』には、当時付近には前方後円墳の塚が他にもあり、地元では大伴金村塚と鷲住王の塚を「帝塚山」といった、と記されている。また近年、帝塚山古墳からほど近い帝塚山東遺跡では弧を描いた幅の広い溝が見つかり、埴輪が多く出土したことから古墳の周濠であることが判明。「万代古墳」と名付けられている。

反橋(住吉大社の太鼓橋)

営業:4〜9月6:00〜17:00/10〜3月6:30〜17:00 定休日:年中無休

航海安全の神で知られる大阪最大の名社・住吉大社を象徴する建造物のひとつである、反橋(そりばし)。太鼓橋(たいこばし)とも呼ばれ、高さ4.4m/最急勾配48度、朱色の優美なシルエットが美しい。かつては、この橋付近まで波が打ち寄せられていたそうだ。豊臣秀頼が造営したものと伝えられているが、一説には、本社の修築を秀頼が行い、反橋は秀吉の側室・淀殿の寄進によるものだという。桁や床板は木製であるため、度々架け換えなければならず、古くは船大工の人々の奉仕で維持されてきた。現在の反橋は、昭和56年(1981)に完成したものだが、石造の橋柱や梁などは豊臣時代のままといわれている。この橋を渡るのは、神さまに近づくにあたって罪や穢(けがれ)を祓い清めるためで、橋が反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ架け橋として、虹にたとえられていたためとか。この橋の上から眺める本宮方面の景色がすばらしい。また、仲秋の満月の夜に行われる「観月祭」では、この橋の上で和歌と俳句が詠まれる。

住吉大社

営業:4〜9月6:00〜17:00/10〜3月6:30〜17:00 定休日:年中無休

阪堺電気軌道の天王寺駅前から住吉鳥居駅までおよそ16分、「すみよっさん」と呼ばれ、三が日の初詣参拝客数は毎年200万人を超える、大阪でいちばん人気の高い神社。全国約2300社余の住吉神社の総本宮であり、摂津国一の宮、旧社格は官幣大社。古くから航海安全の神として信仰され、創建は1800年前に遡る。ご祭神は第一本宮から第四本宮順に「底筒男命/そこつつのをのみこと」「中筒男命/なかつつのをのみこと」「表筒男命/うはつつのをのみこと」、そして「神功皇后/しんぐうこうごう」。本殿が四つに別れ、第一本宮〜第三本宮までが縦に、第四本宮は第三本宮の横に、あたかも大海腹をゆく船団のように建ち並ぶ配置は他にないもの。「三社の縦に進むは魚鱗の備え一社のひらくは鶴翼の構えありよって八陣の法をあらわす」とも伝えられている。柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗り/屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線/出入り口が直線型妻入式という3つの特徴をもつ「住吉造」でつくられており、こちらも神社建築史上最古の特殊な様式で、国宝に指定されている。20を超える摂社/末社をもち、夏越祭など各種祭行事も多い。境内にある反橋や大小260余の石灯篭、「住吉神代記」などは指定文化財。

阿倍王子神社

安倍晴明神社のすぐ南に鎮座し、熊野詣が流行した平安時代に、九十九王子の第五王子社と呼ばれた神社(順番は時代とともに変化し、現存としては第一王子)。「王子」とは和歌山県の熊野大社の末社という意味で、京都から摂津、和泉を経て熊野に至る街道の途中に、休憩と遥拝のために設けられたお宮のこと。もとは、仁徳天皇の創建と伝えられている。また、天長3年(826)、淳和天皇の勅命で弘法大師が悪疫鎮圧の祈祷を行ったとの記録も残っているところから、同社は厄除け、無病息災、病気平癒などにご利益があると信じられている。末社には安倍晴明神社がある。境内には大阪府指定保存樹のクスノキが3本。

安倍晴明神社

阪堺電車の東天下茶屋駅から、もとの熊野街道を南へ約5分。安倍晴明神社は、近年ブームの陰陽師・安倍晴明を祀る、占いの発祥地でもある。安倍晴明は阿倍野の豪族だった父・阿倍保名(あべやすな)と葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた伝説がある。葛の葉の正体が白狐であることがばれた時に、障子に葛の葉が書き残した歌「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」は、あまりにも有名。社伝によると、安倍晴明神社は、晴明没後2年の寛弘4年(1007)の創設とされている。境内には、江戸の文政年間に建設された晴明誕生の地を示す碑や、産湯の跡などがあり隆盛を極めたが、幕末に衰退へ。大正10年(1921)、50m南にある安倍王子神社の末社として復興、大正14年(1915)には現在の社殿が建てられたという。境内で実施されている、日替わりの占いコーナーも大人気。

千林商店街

定休日:店舗により異なる

大阪市旭区にある商店街。京阪電車の「千林駅」と地下鉄谷町線「千林大宮駅」の間、約700mを結ぶ商店街。戦後、ダイエーの1号店にあたる「主婦の店ダイエー」が開店し、「日本一安い商店街」と呼ばれた。下町の風情がいまも残り、「いち・じゅう・ひゃく・せん・せんばやし、親しみの町……」とデュークエイセスが歌う商店街オリジナルテーマソングが四六時中、アーケード中に響き渡っている。戦災を免れたため、戦前のまま通りに面した長屋形式で連なる約200店舗は、生鮮品から食品、生活雑貨、飲食店など。公設市場と市営市場が合併してできた「千林くらしエール館」などもあり、終日、買い物客で賑わっている。

城北公園

淀川の河川敷を利用して昭和9年(1934)に開園した、古くからある公園。面積9.5haの園内は、4月の桜、そして毎年11月ごろに開催される「城北菊花展」などが、大阪の風物詩として親しまれている。とくに江戸系、伊勢系、肥後系三系統の花菖蒲が約250種/13000株が栽培されている「菖蒲園」では、見頃を迎える5〜6月に青紫、白、黄色と色とりどりに咲く様子が「大阪みどりの百選」のひとつにも選ばれている。また、淀川の堤防のすぐ下には、湾処(わんど:河川沿いで水制などに囲まれ池のようになっているところ)が広がり、珍しい植動物たちが集まっている。自然を身近に観察しながら散策するのもいいだろう。

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