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楠正勝の墓

楠木正成の孫で,金剛山落城のあと南朝再起をはかって十津川で兵を募ったが,病にたおれた人物である。役場より国道を少し南へ,滝バス停付近には大塔宮(護良親王)の御詠碑が建っている。「琵琶の音も昔に変えて物凄し芦迺瀬川の瀬々の水音」と万葉仮名で刻まれている。

平維盛の墓

大字五百瀬,政所の背後の山林中に一つの祠があり,平維盛の墓と伝えられています。平維盛は寿永3年(1184年)那智の海にて入水、27才で果てたとされていますが、全国諸々方々に維盛亡命説が伝わっています。

野猿

十津川の支流添い上湯へ向う途中の谷川に鉄線を張り、「やかた」をのせて、綱をたぐりながら渡る人力ロープウェイ。その姿はまるで猿が蔓を伝う姿にそっくりなので「野猿」とよばれ、観光客に人気がある。

野長瀬正夫詩碑

大字武蔵、山村振興センターの前庭にある。野長瀬正夫は十津川村大字小原に生まれ、中学在学中から詩を書き始め、終生「誰にもわかる言葉で、しかし誰にも書けない詩」を念願とし、詩作を続けた。珠玉の如き数々の詩を世に出し、叙情詩人野長瀬正夫の名を詩界に不動のものとした。晩年、「あの日の空は青かった」のサンケイ児童出版文化賞はじめ、野間児童文芸賞・赤い鳥文学賞・日本児童文芸家協会賞等を受賞。

護良親王御詠之碑

滝バス停付近にある大塔宮(護良親王)の御詠碑。「琵琶の音も昔に変えて物凄し芦廼瀬川の瀬々の水音」と万葉仮名で刻まれている。

玉置神社

標高1,076mの玉置山頂近くにあり、紀元前37年に崇神天皇により創建されたと伝える古社。周囲をとりまく神代杉や杉の巨樹群は県の天然記念物指定。例祭は毎年10月24日に、初午祭は3月に行われます。

国王神社

南帝陵の下、河原近くにある国王神社には、長慶天皇をお祭りしており、「国王神社」の神額は大久保利通公の揮毫(きごう)になるものです。例祭は、毎年古例に則り行われ、祭りは上野地より境内に武者行列をつくって練り込み礼式を挙げます。

黒木御所跡

1333年の秋、倒幕を企てた第96代後醍醐天皇の第3皇子・大塔宮護良親王は、難を避けてしばらく十津川郷に身を潜められました。この時、十津川郷民は、谷瀬に仮の御殿を建て、親王をお守りしたといいます。その後、親王は尊氏の弟直義により害され、28歳の生涯を終えましたが、1905年、郷民によって谷瀬に「黒木御所舊址(きゅうし)」の碑が建てられました。

花折塚

元弘2年(1332年)、熊野別当定遍の軍勢と戦い討死した、大塔宮護良親王の忠臣片岡八郎の墓所です。後年道行く人々が、花を折って供えたところから折花塚(おりはなづか)と呼ばれ、後に花折塚と称せられるようになりました。

谷瀬の吊り橋

公開:通年

熊野川(十津川)に架る、長さ297m、川面からの高さ54mの日本屈指の長さの鉄線橋で、昭和29年に地元(谷瀬)地区の住民が出資して建設された、生活用吊り橋としては日本一の長い吊り橋です。周囲の山々が織りなす眺望や、渡る時に味わえるスリル感が話題を呼び、村の観光名所の一つとなっています。ゴールデンウィークとお盆期間中は、一方通行規制が行われます。また、平成20年8月4日に日本記念日協会より、8月4日が「吊り橋の日」として登録を受けました。

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