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事代主命など四神を祀る延喜式内の古社。2月第一日曜日に催されるおんだ祭(御田植神事)が奇祭として知られる。
文武天皇陵の北東にある小さな円墳。昭和47年,石槨内部から鮮やかな壁画が発見され一躍有名になったところ。7〜8世紀初めの古墳終末期の築造と推定され,内部正面北壁に玄武,東西の壁中央に青竜と白虎,それをはさんで4人ずつ計16人の男女の群像,また天井には星宿図が極彩色で描かれている。すでに盗掘されていた石槨から,海獣葡萄鏡や刀剣金具をはじめ人骨も出土。これらからおよそ40〜60歳の長身の男性で,皇族か有力な貴族と推測されるが被葬者名は明らかではない。
6世紀中頃の横穴式石室は国内最大規模である。被葬者は、蘇我氏らを支えた渡来系氏族東漢氏の首長級とみられ、その技術と力を示しているといわれる。
蘇我入鹿が殺されたところ。
官寺の首位にあった寺で高市大寺とも呼ばれた。
公開:8:30〜17:00
蘇我馬子の墓とも伝えられるこれこそ飛鳥のシンボル,日本でも最大級という横穴式石室をもつ古墳である。すでに盛土は失われて巨大な石室が露出しているが,基壇の1辺51mの方形墳。玄室は長さ7.6m,幅3.9m,高さ4.7mの豪壮なスケールで70t級の花崗岩30数個を使用,床面周囲に排水溝をめぐらすなど上代土木事業の素晴らしさに驚かされる。この辺りは島庄と呼ばれ,島宮のあったところでこの地の豪族蘇我馬子の墓とする説が有力だが,その確証はない。
平田の丘陵にあり,他に類例のない正八角形をなし,内部に切石を精巧に組合せた石槨がある。
6世紀末に築造された円墳または方墳といわれている。金鳥塚とも呼ばれ元日に金の鳥が飛んで来て鳴くといわれている。
越の丘陵にある円墳で,凝灰岩をくりぬいた石室が東西2室ある。勾玉や飾りが出土。
天武天皇と持統天皇の孫にあたり、藤原京で即位し、大宝律令を制定した文武天皇がまつられている。高松塚古墳の南東方向に位置する。