徳川慶喜終焉の地
徳川慶喜(1837〜1913)は、水戸徳川藩主斉明の子として江戸上屋敷(現在の後楽園)で生まれ、一橋家の家督を継ぎ、慶応2年(1866)15代将軍に就任。翌年、大政を奉還したが、鳥羽伏見の戦とそれに続く江戸開府の後、恭順の意を表し、水戸にて謹慎の後駿府に隠棲した。明治30年東京に戻り、同34年この地に移り住み、もっぱら趣味の世界に生きたという。徳川慶喜(1837〜1913)は、水戸徳川藩主斉明の子として江戸上屋敷(現在の後楽園)で生まれ、一橋家の家督を継ぎ、慶応2年(1866)15代将軍に就任。翌年、大政を奉還したが、鳥羽伏見の戦とそれに続く江戸開府の後、恭順の意を表し、水戸にて謹慎の後駿府に隠棲した。明治30年東京に戻り、同34年この地に移り住み、もっぱら趣味の世界に生きたという。