白梅之塔
県立第二高等女子学校の稲福全栄校長以下職員11柱、白梅学徒看護隊27柱、同窓生101柱、合計132柱が合祀されている。白梅隊(4年生)55名は、昭和20年3月6日、東風平国民学校在第24師団第一野戦病院衛生看護教育隊に入隊、看護師としての特別集中教育を受けていたが、米軍の艦砲射撃が始まると、直ちに東風平村八重瀬岳の山部隊第一野戦病院へ配置され、昼夜の別なく傷病兵の看護に当たった。戦況が悪化し、6月4日、白梅隊は軍の解散命令を受け自由行動を余儀なくされて、鉄の暴風雨の中で20名が次々と戦死を遂げている。白梅隊の一部は解散後、この地に撤退し、最後まで傷病兵の看護に専念、6月21日、米軍の猛攻撃に遭い、戦没した。ここは白梅隊のもっとも多くの犠牲者がでたところである。昭和22年1月、自然石の小さな碑を建て第1回の慰霊祭が行われた。昭和26年8月に立て替えられ、再度平成4年6月に現在のように改修された。