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盛岡城跡

三戸城主南部信直が慶長3年(1598)ごろ着工,子の利直のとき三戸より移る。城が完成したのはその子重直の時代,寛永10年(1633)という。南部氏が累代在城して明治維新までつづいた。現在,石垣と堀を残している。また城跡は岩手公園になっており,内堀・石垣に往時を偲ぶだけである,松や桜の多い園内は,市民の散策の場となっている。◎南部信直(1546-99)近世南部氏の藩祖。戦国末期,豊臣秀吉に仕え本領を守る。盛岡城を築城した。

志波城跡

陸奥国最北端の古代城柵。志波城跡の南辺に約1200年前に築城された時の姿が復元され、中央に配した南門は門口15m、奥行6m、高さ11.1mあり、平城宮跡朱雀門に次ぐ大規模な門。その両側それぞれ126mに土を層状に固めた築地堀をめぐらしており、堀の上にはやぐらを組んでいる。

菊の司酒造

見学時間:9:00〜17:00 休業日:日土祝日

お酒の製造工程について見学ができます。

岩手大学ミュージアム

見学時間:10:00〜15:008/12〜16は植物園、自然観察園は時間外も観察可 休業:日土祝祭日、年末年始、大学の定める一斉休業日は休館。それ以外は土、日、祝日をも含め毎日開館

ミュージアム本館、農業教育資料館、獣医学科標本室、植物園、自然観察園があり、これまでの研究業績等をはじめ、宮沢賢治ゆかりの資料の見学もできる。解説ボランティアの説明をうけながらの見学も可能。農業教育資料館は国の重要文化財の指定を受けている。※獣医学科標本室の開設ボランティアによる説明は要予約。

ベアレン醸造所

見学時間:10:00〜18:00 休業:年末年始

本場ヨーロッパの伝統的な醸造技術を尊重、その製造工程をパネル展示し案内、1900年頃に作られたモルトミル「麦芽粉砕機」をはじめ、100年ほど前から使われていたドイツの小さな醸造所からそのまま移設した仕込み室、現在は使われていない貴重な醸造設備などを説明つきで展示している。売店ではビールの試飲も常時用意しており、全商品の販売を行っている。

もりおか歴史文化館

見学時間:4月〜10月9:00〜19:002階歴史常設展示室への入場は18:30まで 見学時間:11月〜3月9:00〜18:002階歴史常設展示室への入場は17:30まで 休館日:毎月

2011年7月に開館した文化施設。1階では盛岡の観光情報や伝統文化を紹介し、2階では城下町盛岡の成立過程や盛岡藩主南部家に関する資料を展示しております。

御蔵(下町史料館)

開館:4月〜10月毎月第2・3・4土・日曜日史料公開日以外休館、なお前日までに申込めば見学可能 見学時間:10:00〜16:00

土蔵造り平屋建てで、屋根は棧瓦葺切妻となっており、外壁は土蔵の大壁式で白漆喰塗り、窓は外開きの土壁式防火戸、鉄格子金網付の開口部、腰は花崗岩積みでかなり堅固な基礎に造られている。内部には御蔵管理委員会や地元町内会が収集した新山舟橋ゆかりの史料や江戸時代からの今では失われつつある庶民の日常生活用具など、約1000点が展示してあります。

旧石井県令私邸

計,施工共に不明である。明治19年盛岡監獄移転建築用の煉瓦及び囚人使役によって新築落成したと言い伝えられているが,裏付け資料は不詳である。半地下階,1階,2階の煉瓦組積造3階建てで,屋根裏部屋を有する。外壁は砂漆喰塗仕上げ,屋根はほぼ正方形の寄棟日本瓦葺,屋根に2個所のドーマー窓のある比較的シンプルなヨーロッパ民家風の建物といったところが当初の外観である。内部は,1階床2階床小屋組と木造であり,壁は漆喰塗,腰壁は板張,天井は木製透かし彫りの装飾があり,各室に暖炉を配して一部には当時の輸入品と思われる外国産化粧タイルが用いられている。概して装飾は少なく専門の建築家の設計にしては様式の統一性はない。1,2階はほぼ同じ間取りで原型に保っている。半地下階は現在使用されていないが,厨房その他使用人の用に供していたと考えられ,1階の洋風の浴室と共に日本人の生活習慣からは恐らく生まれてこない設計なので,外国人の設計といわれる一つの根拠と考えられる。1,2階の間取りも日常生活を送るというよりは来客接待用に適応する雰囲気で,地下階の連絡用の通路により和風家屋がこの建物に近接して同時に建てられていたとする説に現実感がある。なお,外壁煉瓦積に胴蛇腹と軒蛇腹に煉瓦の積出しのバンドが廻っているが,この積出しのあるフランス積といった手法は旧盛岡監獄の外周壁の煉瓦積と同じであり,建設に伴う事情を解く手掛かりとなり得よう。いずれにしても,国鉄盛岡工場,旧盛岡刑務所少年刑務所跡の外周壁と共に明治初期の盛岡近代化を実証している煉瓦造建築である。

旧宣教師館

開館時間:月火水木金1月4日〜12月28日9:00〜17:008/13〜8/16を除く

宣教師シングレーの在任中,米国フィラデルフィア市に当時本部のあったジャーマン・リフォームド・チャーチ教団の資金で大正9年に建設された。設計者,施工者は現時点で不明であるが,この種のキリスト教団関係の建物の通例や現存する建物の間取り,構造等の構成から,教団本部の計画指示による設計ではないかと推測する。施工は,地元の職人によるものと考えられるがこれも推測の域を出ない。建物の主体構造は,煉瓦1.5枚積組積造と床,小屋組,窓廻りは木構造を併用している。建物妻手の煉瓦積棟は棟高まで達している。現存する建物は,建坪約126平方メートルの2階建に屋根裏部屋を有する典型的な当時の米国の生活様式を伝える住宅建築である。そのなかでも,ドイツ系米人の生活をうかがわせる簡素な仕上げで,外装は,当初から煉瓦をそのまま現わし,内部も漆喰塗程度であり,装飾的要素はほとんど施していない。一方,設備的には,薪・石炭焚きのボイラー,レンジオーブンが設けてあり,暖炉と共に集合煙突二本により当初から使用されていたようである。当初の間取りは,1階が書斎(現在は一部を玄関に改造),居間,食堂,台所,ボイラー室(現在撤去),便所,パントリー,玄関(北側街路に面していたが現在撤去)。2階は,主寝室,寝室三室(各伝道教室にも使用)浴室,リネン室・屋根裏は物入れ等に使用されていた。後年,外装にモルタル吹付が施され,昭和36年に窓,屋根,暖房(ボイラーとスチームの取り替え)等改装され,現状を呈するに至っている。

岩手県公会堂

岩手県公会堂は,皇太子であった昭和天皇の御成婚を記念して建設が計画され,1925年(大正14年)9月の着工から1927年(昭和2年)6月の竣工まで,約2年の工期と総額43万8000円の建設費を投じて建設された。設計は,東京の日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計で知られる佐藤功一博士で,近代コンクリート建築の先駆け。創建当時の公会堂は,県会議事堂,大ホール,西洋料理店,皇族方の宿泊所と,4つの用途を備えていた。間口44メートル,奥行48メートルの規模で,鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建,陸屋根となっている。玄関奥を階段室,その奥を中庭とし,後部にホールを置く。中央に高さ約24メートル・6層の塔屋を設け,外壁をスクラッチタイル貼とし,外部に柱形を現して垂直性を強調しているのが特徴です。幾度かの改修が行われましたが,内部には漆喰の美しいレリーフや,優雅な曲線のバルコニーなど,創建当時の面影を伝えるアール・デコ様式の意匠が残されており,現在も会議室を主体とした施設として市民・県民に利用されています。

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