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今宮戎神社

営業:9:00〜17:00 定休日:無休

浪速区恵美須西1丁目に鎮座、大阪の商売の神「えべっさん」として信仰を集める神社。推古天皇の時代に聖徳太子が四天王寺を建立した際、同地西方の鎮護神として祀ったのが始まりとされる。祭神は天照皇大神・事代主命(戎さん)・外三神。戎さんはもともと漁業の守り神であり、古代にはこの辺りは海岸沿いで、海・里・野の諸産物が物々交換される「市」が開かれ、その市の守り神としてもこの戎さんが祀られていたそうだ。その後、福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても篤く信仰されるようになった。とくに江戸時代になると、1月9・10・11日の三日間にわたって「十日戎」の祭礼が開催され、宝恵籠の奉納も行われるようになった。現在では、年の最初の祭りとして十日戎の3日間に約100万人を超える参詣者が訪れ、神社から授与される笹がついた小宝・「吉兆」(きっちょう)を買い求め、活気あふれる。

なんばHatch

営業:公演により異なる 休業:なし

ロックからジャズ、ソウル、ヒップホップ・・・様々なジャンルを聞かせるスポット。

通天閣

営業:9:00〜21:00最終入場は20:30まで 休業:無休

なにわのシンボルの展望塔「通天閣」。明治45年(1912)、新世界のシンボルとして、凱旋門をモチーフとするビルディングの上にエッフェル塔風の鉄塔が建てられた。高さ64mという当時東洋一の高さを誇ったこの鉄塔は、「天に通じる高い建物」との意味で、明治初期の儒学者・藤沢南岳により「通天閣」と命名された。その後、火災に遭って解体されたが、昭和31年(1956)市民の要請を受けて再建され、現在に至る。2代目の通天閣は103m、初代より39m高い。5階には大阪を一望できる展望台や、足の裏をなでると幸運が訪れるという神・ビリケン像などがあり、年間70万人が訪れている。通天閣の頂上の丸いネオンは、色の組み合わせで明日の天気を知らせる「光」の天気予報装置でもある(白=晴れ、橙=曇り、青=雨)。また、地階の歌謡劇場では土・日には、各地方で活躍する演歌歌手のステージも。

慶沢園

営業:9:30〜17:005・9月の土日祝と7・8月の金土日祝は20:00まで但し、入園は閉園30分前まで 定休日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29〜1/1)

天王寺公園内にある純日本風の池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。大正15年(1926)、江戸時代からの大阪の豪商・住友家15代吉左衛門(号は春翠)から大阪市へ、本邸とともに寄贈されたもの。中島を浮かべた大池を中心に、三方に築山を築き変化に富んだ地形をつくり出している。周辺には園路や飛石、橋をめぐらせ、茶室や四阿・あずまやが配されている。庭園の設計・施工者は「植治」こと小川治兵衛で、明治中期から昭和初期にかけて東京の西園寺公望邸や平安神宮、円山公園など大規模な庭園を手掛け、近代造園のスタイルを確立したと称えられる造園家。庭園は当初、春翠によって「照代之恩恵祖先の余沢」の思いで「恵沢園」と名付けられたが、完工時には「慶沢園」に改名された。庭園内の奥から入り口に向かって見える大阪市立美術館の本館が、同じ時期に寄贈された住友家の本邸だった。

吉祥寺

営業:9:00〜16:00

寛永7年(1630)に創建。道元禅師を祖とする。江戸時代、赤穂浅野家の祈願所として、藩主の長矩(ながのり)は江戸参勤の途中、必ずこの寺に立ち寄って休息した。当時の住職で赤穂出身の縦鎌(じゅうけん)は長矩とも親交があり、赤穂浪士の墓を建ててその霊を弔ったと伝えられる。墓の中には、遺髪、遺爪、鎖帷子(くさりかたびら)が安置されて、墓碑周辺に桜の木が植えられた。このことから今も「義士の寺」として親しまれている。討ち入りの日に当たる12月14日は毎年、法要や奉納剣道試合、子どもたちによる四十七義士時代行列などが行なわれる。名物?「討入そば」の接待も。地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘駅から歩いて約3分。

三光神社

営業:9:30〜16:00利用時間は社務所の開いている時間 定休日:年中無休

天王寺区の宰相山公園にあり、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻ったという。古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれたらしい。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから、「三光神社」と呼ばれ、今日に至っている。「三光さん」は中風封じの神として良く知られており、毎年6月1日から1週間の中風除け祈願の期間には、全国各地から参拝者がやってくる。また、境内は桜の名所としても知られるほか、大阪城と地下道でつながっていると伝えられる「真田の抜け穴」の跡がある。この抜け穴の脇には真田幸村の陣中での指揮姿の銅像が建っている。

一心寺

営業:9:00〜16:00

夕陽丘の一角に位置する一心寺は、文治(ぶんじ)元年(1185)、法然(ほうねん)上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだのが始まりとされる浄土宗の寺院。後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「日想観」の修行を行ったといわれる。現在の境内地は、秀吉の夫人高台院からの拝領によるもの。大坂冬・夏の陣では徳川家康の本陣が置かれた場所としても有名だ。また、一心寺は「お骨佛の寺」としても知られ、納骨堂には人骨でつくられた仏像が安置されている。これは、江戸時代末期から宗派を問わず庶民が納骨に訪れ、明治20年(1887)に約5万体の納骨でもって「お骨佛」がつくられて以来、10年ごとに1体の仏像をつくることになった。現在まで12体の仏像がつくられ、納骨堂には戦後の6体が安置されている。建築家でもある現住職の設計による山門や日想殿も見どころ。

四天王寺

営業:4〜9月8:30〜16:30*毎月21・22日〜17:0010〜3月8:30〜16:00*毎月21・22日〜16:30六時堂8:30〜18:00*毎月21・22日8:00〜本坊庭園9:00〜16

1400年前の推古天皇元年(593)、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院。その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式。日本では最も古い建築様式のひとつだそうだ。仏教の根本精神の実践の場として、中心伽藍の北には、仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四箇院が設けられている。その後、幾度の戦禍と災難によって伽藍は焼失へ。現在の伽藍は昭和38年(1963)、当初のものを厳密に再興したものだそうだ。全敷地面積33,000坪、甲子園球場の3倍の広さをもつ四天王寺の境内には、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」など、たくさんの見どころが。また毎年4月22日、聖徳太子を偲んで行われる「聖霊会舞楽大法要」では、「天王寺舞楽」が舞われている(国の重要無形民俗文化財)。

茶臼山(天王寺公園)

営業:9:30〜17:00【夜間開園】9:30〜20:00※但し7/1〜8/31(金,土,日,休日)と5.9月の土日及び休日のみ 定休日:月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)

四天王寺の南西に立つ茶臼山は、5世紀ごろの全長200m近い前方後円形古墳であるという説がなされている。しかし1986年の発掘調査結果によると、古墳に欠かせない葺(ふ)き石や埴輪(はにわ)が全く見つからなかった。一方、規則正しい作られ方をしている盛り土は、堺市の大塚山古墳や御勝山古墳にも共通していることから、茶臼山が古墳丘ではないとも断定できず、専門家の間で議論が繰り広げられ、結論が出されていないのが現状だ。大阪冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、大阪夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となったことはよく知られる。

天王寺動物園

営業:9:30〜17:005・9月の土日祝日は18:00いずれも入園は一時間前まで 休業:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月1日)

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