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北向きを正面にして建つ神社。神社のある柿木地区の開祖である豊田氏によって創建されたと伝えられている。神社では、里神楽の奉納も行われる。境内には草加出身の作家、豊田三郎の文学碑がある。
女性の長い髪の毛をご神体とする珍しい神社。村の長者の娘のものという伝説がある。
柿木町の豊田仙太郎氏の屋敷南端に明治初年頃まであった経塚の跡。面積60平方m、高さ4mほどのこの経塚は明治11年に発掘され、お経などを収めた経筒や刀子などが出土した。下妻街道と呼ばれた古い街道沿いに位置し、中世から人の往来があったことがわかる旧跡となっている。
中川の自然堤防上に築かれた古道。前九年の役にあたって奥州へ向かった源頼義・義家らが通ったとされ、鎌倉時代には政治の中心常陸と常陸・陸奥各地と結ぶ主要道路として重んじられていた。近世に入ると、日光街道と水戸街道の中間に位置し、茨城県下妻方面への脇往還として利用されたことからこの名がついた。現在でも、柿木町には街道跡が残され、昔をしのばせる風情がある。
旧国道4号線に沿って市域の中央を縦断する街道。江戸と日光・奥州方面を結ぶ五街道のひとつ。草加宿は同街道第2の宿として盛え、今も一部面影が残る。大名行列のほか芭蕉などの文人も通ったことで知られる。市の中央、綾瀬川と平行する約1.5kmは、東京スカイツリーに因んだ634本の松並木となり「草加松原」として「日本の道100選」にも選ばれている。
百代橋と対をなす木目模様の和風太鼓橋。和風の太鼓型歩道橋で、草加のシンボルとなっている。日本の道100選・東京スカイツリーの高さに因んだ634本の松並木、草加松原の途中にあり通路で遮られることなく散策できる。長さ96.3m、幅員は4.14mで百代橋の1.5倍ほどの大きさ。橋名は松尾芭蕉の『奥の細道』の「行く春や鳥啼き魚の目は泪これを矢立の初めとして・・・」から引用したもの。
和風の太鼓型歩道橋で,草加のシンボルとなっている。草加松原の歴史的景観を保存するため,埼玉シンボルロード整備事業の一環として架けられた橋。長さ62.5m、幅3.5m、高欄は木目調で,街道の雰囲気に合わせた常夜灯が設けられている。橋名は松尾芭蕉の『奥の細道』冒頭の「月日は百代の過客にして・・・」から引用したもの。
伝右川のかんがい用水の取水と洪水時に綾瀬川の逆流を防ぐことを目的に造られた。明治27(1894)年の大改修で,レンガ造りの現在の姿となった。昭和58年に新しい排水機場が完成し,その使命を終えるまで約100年にわたって地域に貢献した。建設当初の姿を保ち、保存状態も極めて良好。埼玉県の指定文化財で、河岸遺跡と共存するレンガ造水門としては県内で唯一のもの。
公開:9:00〜17:00望楼のみ 休業:無休
高さ11mの木製の望楼があり、松並木や綾瀬川が見渡せる。日本の道100選・634本の草加松原にある五角形の望楼の近くに松尾芭蕉翁の像、正岡子規の句碑や県の有形登録文化財である甚左衛門堰などがある。
古文書によると、寛永年間(1624〜44)頃に植えられたものと思われる。南は草加市神明の六丁目橋、北は旭町まで約1.5km。最盛期にはおよそ2千本もの黒松が青々としたトンネルを作っていた。戦争や、その後の都市化の影響で60数本にまで激減してしまったが、市や松並木保存会、市民らの努力によって現在は東京スカイツリーの高さに因んだ634本までに回復。日本の道100選にも選ばれている。