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雲性寺

雲性寺は、創建年代は不詳ですが、江戸時代初期と伝えられている、地頭のお墓がある古くからの寺院です。山門は箱根本陣の一の門を譲り受け、昭和26年(1951)に設置されました。山門の下には奈良橋庚申塚から移築した庚申塔、本堂には八葉の蓮華を台座とし、梵字の「ア」の字が月輪に浮き彫りされている珍しい形状の庚申塔「阿字庚申」があり、東大和市郷土資料に指定されています。狭山三十三観音第18番目の札所。

円乗院

円乗院の開祖は、平治元年(1159)に入寂した賢誉法印と言われています。寺院は以前、市内の二ツ池付近にありましたが、慶長12年(1608)の風水害で現在地に移されました。美しい山門「鐘桜門」は寛延2年(1749)に建てられたもので、歴史の古さを物語っています。

八幡神社

神社明細帳には,創立暦不詳。太古より鎮守と公称し,天正3年に再興と言われています。現在の本殿・拝殿は昭和7年(1932)に建立されたものです。八幡神社の近くには市跡の八幡谷戸遺跡があり、その出土品は市指定文化財(市重宝)に指定されています。

豊鹿嶋神社

豊鹿嶋神社は市内最古の神社で、慶雲4(707)年の創建と言われています。江戸時代には御朱印13石を頂戴していました。文正元(1466)年建立の本殿(附棟札)は、都内最古の神社建築であり、都の有形文化財(建造物)となっています。一間社流造、こけら葺、軸部丸柱という、関東地方でも現存が珍しい、中世の神社建築様式です。木製の狛犬と、江戸時代後期の作と思われる獅子頭は市重宝に指定されています。

塩釜神社

塩釜神社は高木神社と同じ境内にあり、安産の神様として知られています。かつては、個人宅の屋敷神として祀られていましたが、明治10年に現在の場所に移され、今の塩釜神社となりました。

三光院

天永元年(1110)に建立されたお寺で、以前は下貯水池の取水塔付近にありました。市内では、徳川家から土地を与えられた唯一の寺院で、寺領3石と境内1万坪を持っていました。現在でも、徳川氏の発給した12通の朱印状が残されており、市の文化財となっています。阿弥陀如来坐像、釈迦誕生仏立像など、江戸時代のものと思われる仏像が残されています。狭山三十三観音第16番目の札所。

蔵敷高札場

高札場とは、江戸時代に幕府が法度や掟書を発布したり、重罪人の罪状などを記して板札を掲げられていた場所で、明治時代になり、次々に取り壊され、都内に残っている高札場は蔵敷高札場と、府中にある府中高札場の二カ所のみとなっています。東京都の旧跡に指定されています。

旧日立航空機株式会社変電所

旧日立航空機株式会社変電所は軍需工場の設備として昭和13年(1938)に建設されました。飛行機のエンジンを創造する軍需工場であったために、米軍の攻撃を受け、空襲により周辺の施設の大半が破壊されましたが、変電所は、機銃掃射や爆弾の破片によりできたキズを壁に残してその姿を留めました。終戦後も稼働を続け、平成5年12月にその役目を終えました。その後、平成7年に東大和市の指定文化財(史跡)となりました。ex)現在、変電所の中に入ることはできませんが、年間に数回特別公開が行われ、建物の内部を見学することができます。

多摩湖の桜

アカマツや雑木の丘陵に囲まれた多摩湖の湖畔には、ソメイヨシノなどサクラが約4万本あって春には花見客で大賑わいになる。特に湖東端の狭山公園の並木は見事。

玉川碑(万葉歌碑)

平井薫威が文化2年(1829)に建立した歌碑で、松平定信が揮毫した万葉集の古歌が彫られていましたが、文政12年(1829)の多摩川の洪水によって流失しました。現在の歌碑は、定信を崇敬する渋沢栄一の援助によって、大正13年(1924)に再建されたものです。

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