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芭蕉の句碑(玉川の里)

「うのはなや暗き柳のおよびごし」と刻まれた、俳人・松尾芭蕉の句碑。芭蕉が故郷の伊賀上野(現伊賀市)から、大坂や京に頻繁に出入りしていた頃に詠んだ句だ。現在、玉川橋から玉川の里の小道を少し南へ行ったところに建てられているこの句碑は、天保14年(1843)に刻まれた独特な字体が特徴。高槻の玉川は、山城国、近江国などの玉川とともに、「摂津国三島の玉川」として「六玉川」のひとつに数えられ、古くから詩歌などにうたわれた景勝地。摂津国三島の玉川の里に、毎年5〜6月頃に咲く「うのはな」(和名は「ウツギ」/高槻の花でもある)は、平安時代から古歌や歌枕として知られ、江戸時代にも俳句や川柳に度々登場。卯の花が白い花を咲かせる初夏に、芭蕉に想いを寄せつつ、玉川を散策するのもいいだろう。

神峯山寺

営業:9:00〜17:00 休業:無休

高槻市の山間にある根本山神峯山寺(かぶさんじ)は、天武元年(683)、役行者によって開山され、宝亀5年(774)に開成皇子によって創建された天台宗の寺院。創建当初は、7堂の伽藍と21の僧坊、1300石の寺領をもつ天皇の勅願所で、仏教の聖地として比叡山、葛城山と並ぶ7高山のひとつに数えられていた。歴代天皇のみならず、足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母・淀殿らの寄進も多く、大いに栄えたという。本堂には、日本で最古級とされる開運福徳の神・毘沙門天像のご本尊のほか、聖観世音菩薩立像、阿弥陀如来像も安置されており、いずれも国の重要文化財。また、秋には、約300本もの紅葉が鮮やかに色づき、なかでも樹齢400年の古木、夫婦紅葉は見事だ。

八阪神社(高槻市)

高槻市の北部、芥川の西側に建つ古社。社伝によると、9世紀後半の清和天皇の頃、疫病が流行したため、牛頭天王を迎えたのが始まりといわれる。祭神は、牛頭天王と習合されている素戔嗚尊(スサノオノミコト)。毎年4月の第一日曜日には、通称・大蛇祭と呼ばれる「春祭歩射神事」が行われ、大勢の見物客が訪れる。寛政12年(1800)の「年中故事」にまでさかのぼるこの神事は、ワラで直径25cm、長さ30mもの大綱を編んで大蛇に見立て、村中を練り歩いたのち、境内の2本の松の木にかけて的を付け、弓で射るという珍しいもの。近くの池に住んでいた大蛇を退治した故事にちなむとも、豊作を祈願する春祭りが起源とも伝えられている。また、境内にある花崗岩製の石槽は昔の石風呂ともいわれ、昭和49年に府の有形文化財に指定された。

本澄寺

日蓮聖人が43才だった時の像が奉られるこのお寺。江戸時代には淀川の水運を用いて、多くの参拝者が訪れたらしく、なんと一畳の畳の上に、10人がひしめき合って座っていて、厠に立って帰ってきても自分の席はなかったという。日蓮宗本澄寺、近所の人以外で、ここを知る方がおられるとすれば、それは、三好達治の墓や、彼の記念館がある事によるのではないだろうか。

野見神社

野見神社境内には、高槻城主だった永井日向守直清の碑のある永井神社、1月の十日戎には人であふれ返るえびす神社、護国神社、稲荷神社、小島神社がある。そして、野見神社は知る人ぞ知る勝負の神様。武芸上達やスポーツの勝利祈願で毎年訪れている人もいるそうだ。

普門寺

営業:拝観は前日予約が必要時間は13:30〜16:00

明徳年間(14世紀末)の創建。16世紀後半には、室町幕府の官僚・細川晴元や14代将軍の足利義栄も滞在し、普門寺城とも呼ばれていた。国の名勝に指定されている庭園は、阿武山を借景にした池泉式枯山水庭園で、小堀遠州の弟子・玉淵の作と伝えられている。方丈西面には昭和期の名園「心字の庭」も。国の重要文化財指定の方丈は柿葺きの屋根が美しい。内部の襖絵は狩野安信の水墨画、欠損していた襖には南画の大家・直原玉青画伯の「淀川右岸天王山鵜殿前島菖景」が描かれ、見応えがある。他に中国の高僧・隠元作とされる石畳の道、細川晴元の墓もなども巡りたい。樹齢200年といわれる沙羅双樹があり、6月上旬から中旬頃の開花期に特別公開される。

本山寺

営業:9:00〜17:00

静かな山中にたたずむ天台宗の寺院。役の行者が開山し、8世紀に開成皇子が創建したと伝えられる。戦国時代には、松永久秀が所領を寄進し、三好長慶や高山友照・右近父子たちが寺領の安堵状を出している。江戸時代には、高槻城主の永井氏や皇室などの崇敬を受け、宝永年間(18世紀初め)に5代将軍網吉の生母・桂昌院が大改修を加えた。境内には開山堂や開成皇子の一石一字経塔などがある。本堂の聖観音立像と毘沙門天立像は国の重要文化財、本堂東側の山腹にある宝篋印(ほうきょういん)塔は府の有形文化財、またキリシタン大名で知られる高山右近たちの書状を含む本山寺文書は、高槻市の有形文化財に指定されている。

高槻城跡公園

営業:施設により異なる 定休日:施設により異なる

江戸時代、堺と並ぶキリスト教布教の重要な拠点となっていた高槻。当時、キリシタン大名で有名な高山右近は、合戦や築城にすぐれた才能を発揮し、本丸・二の丸の他、町家までも堀で囲い込んだ堅固な城「高槻城」を築きました。南方3キロメートルに淀川を擁し、北方1キロメートルには西国街道を控え、水陸交通の要衝に位置した優れた城だったといいます。時が経ち、1874年、残念ながら高槻城は取り壊しとなり、城下町の景観は残っていません。石垣などは、JR東海道線(旧国鉄時代)の線路敷に活用。1950年(昭和25年)5月に城跡は大阪府の史跡に指定。現在では一部が城跡公園として市民の憩いの場となり広く親しまれています。

安満宮山古墳

営業:9:00〜17:00公園墓地開場時間内 休業:12月29日〜1月3日

1997年(平成9年)の発掘調査で、長大な木棺を納めた墓坑から、中国・魏の青龍三年(235年)銘方格規矩鏡と三角縁神獣鏡など銅鏡5面、刀・斧といった鉄製品やガラス小玉が出土。239年には倭国女王卑弥呼が魏と外交関係を結び「銅鏡百枚」を与えられたのだが、安満宮山古墳の鏡はその一部を含むのではないか、とのことだ。邪馬台国の外交ルート、淀川水運に関わった人達が葬られたと考えられている。現在、古墳は復元整備され、発見当時の墓坑が再現されている。

阿武山古墳

大阪平野を見下ろす標高210m余の山頂、京都大学の地震観測所の裏手に位置している。1934年(昭和9年)に発見・調査された棺は、漆で布を何枚も貼り合わせた夾紵棺(きょうちょかん)が用いられ、中には60歳前後の男性人骨がほぼ完全に残っていたという。藤原鎌足の墓ともいわれ、国の史跡指定を受け、保存が図られている。

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