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開園時間:8:30〜21:30(愛野公園管理棟)
野球場・弓道場・テニスコート・相撲場等スポーツを主体とした動的ゾーンと観賞・休息を主体とした静的ゾーンで構成された総合公園です。
休業:無休
龍巣院は、延徳元年(1489)に太素省淳(たいそしょうじゅん)和尚によって開かれたと伝えられる曹洞宗の古刹です。お寺の造営に際して龍宮伝説が伝わり、龍の住処を譲ってもらったと伝えられています。山門には、名工「左甚五郎」の作と伝えられる見事な龍虎の彫刻があります。
天理教本部直轄の大教会。荘重な教会堂が並んでいます。
妙日寺は、日蓮宗を開いた日蓮の父の法名を寺名とし、境内は一族である貫名氏の代々の邸宅跡と伝えられています。日蓮の両親を顕彰するため、建立された「妙日尊儀・妙蓮尊儀供養塔」(市指定文化財)は江戸時代初期の形をよく残した五輪塔です。
神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いた真言宗の古刹。足利氏や今川氏をはじめ、豊臣氏、徳川氏からも寺領170石の領有権を認められました。平成3年度から6年度にかけ、本堂の保存解体修理が行われ、創建当時の入母屋造柿茸の荘巌なる本堂が復元されました。県指定有形文化財/本堂(附本堂内厨子)、木造薬師如来座像、木造阿弥陀如来座像。
橘逸勢は、弘法大師、嵯峨天皇と並ぶ日本三筆の1人で842年の政変の首謀者の1人として捕らえられ、伊豆に流される途中、上山梨の板築橋の付近で病気になって亡くなりました。その娘は、父を慕い尼となり、墓前に草庵を結んで弔いました。寺の五輪塔は、橘逸勢の墓と伝えられています。
公開:6:00〜18:00 休業:無休
大宝元年(701)行基の開創と伝えられ、天平勝宝元年(749)孝謙天皇眼病の折、境内「るりの滝」の加持祈祷された水で洗浄したところ快癒したことから、天皇の勅願寺となりました。広大な境内は昼なお暗い杉林におおわれ、渓流や滝があり深山霊谷の趣が濃く、木々の緑に映える朱塗りの三重塔が美しい。掛川城の御殿下御門を移した山門、三重塔、本堂内薬師如来厨子は国指定重要文化財となっています。
浄土宗の古刹。境内には大小100体ほどの信楽焼のたぬきが置かれ、「たぬきの里」として親しまれています。
可睡斎・油山寺とあわせて遠州三山と呼ばれる古刹。通称”法多山(はったさん)”と呼ばれ、本尊の正観世音菩薩は厄除け観音として広く信仰され、多数の参詣客が訪れます。神亀2年(725)聖武天皇の勅令を受けて行基が開山。今川・豊臣・徳川など武将の厚い信仰を得て栄えたが、明治維新に朱印地を返還し12坊を廃して現在に至っています。境内で売られる厄除け団子は名物として有名です。また桜の名所としても知られ、約700本のソメイヨシノの木があります。
源朝長は、平治の乱(1159)で敗れた義朝の2男で頼朝の兄です。この乱で負傷した朝長は傷が悪化し、美濃青墓(大垣市)で自害した。家来であった大谷忠太は、朝長の首を抱いて故郷に帰り、この地に埋葬したといわれています。積雲院には、義朝、義平、朝長の石碑があり、毎年8月15日の夜には、市指定無形民俗文化財である朝長公の霊を弔う御祭礼が開かれます。友永の地名は、朝長に由来するといわれています。